こんにちは。株式会社エヌ・ケーパートナーズの小林です。
周りに良く、「なんで独立したの!?」、「どんな会社にするの!?」とよく質問をもらうことが多いこの頃なので、「僕が会社を創業した理由。」と題して、その質問に応えていきたいと想います。
目次
経営者の立場に立って、チャレンジしたいと思ったから。
株式会社エヌ・ケーパートナーズは2016年5月9日に設立しました。言わばこの日は会社が法人として生誕した日になります。
僕は2007年11月より、リラクゼーションスタジオをフランチャイズで展開する株式会社リラクに入社し、その中でもフランチャイズの開発、人事・教育部長、運営事業部長、メディア事業部長と会社全体の業務に関ってきました。
その経験の中でも運営事業部長の経験が今日の「独立」という選択肢を選んだことに強く繋がっています。
運営事業部長としてのミッションは、お店の売上予算の達成やフランチャイズ本部としての本部収益の達成は勿論の事、お店の予算を達成させる為のKPIマネジメント、そこに紐づく組織のマネジメントを通して、会社を成長させることですが、日々対面する方々はフランチャイズのオーナーが主であり、各々独立した経営者の方々とコミュニケーションをとらせていただく機会が多くありました。
経営資源は「ヒト・モノ・カネ・ジョウホウ」であり、その中で、日々課題を見つけて、「選択と集中」をして、成果を上げる為に奮闘していました。
リラクゼーション業等の店舗業の課題は、ヒト(人)がいなくてはそもそも商売が成り立たないため、ヒト(人)の採用・教育・離脱防止が大きなテーマであると共に、お店の集客を増やし、会社のキャッシュフローを良くするカネ(金)の2つが事業の根幹になっており、日々相談を受けていました。
万が一事業に失敗し、会社が倒産すれば、その負債は経営者である代表取締役が個人として保証人になっており、会社が生きるか、死ぬかという生死彷徨う経験をされているオーナーや事業に成功し、複数店舗を担うように会社が成長する中で、共に成長する多くの従業員の姿をみてきました。
その中で、良く、「経営者は孤独であり、経営者の本当の気持ちは、経営者になってみないと分からない」という言葉があり、いつしか自分も経営者になり、自分自身でリスクをとって、1度きりの人生において、チャレンジしたいと強く想いました。
わがままな自分を表現したかったから。
2005年に社会人になってから、2016年4月に会社を辞めるまでの11年間。サラリーマン生活をしていました。その中で日々思っていたのは、伸びている会社や大きい会社で安定した生活を送るのではなく、自分自身の能力を高めて、どこに行っても成果を出せる人材になることこそ、安定した人生をおくることができるという考え方が常に頭の中にありました。
さらにその先に、どんな環境でも成果を出すことができれば、決められた時間や会社のルールに縛られることなく、自分のすきなように自分を表現して、わがままに生きたいという思いがありました。
うちの家族構成は両親に姉に僕の4人家族。親父は当時郵便局員で、母親は専業主婦という政府が絵に書いたような家族構成でした。
しかしながら、父親側は電気工事関連の経営者の家計であり、母親側は医者の家系だったため、両親共に厳しく躾されて育ちました。
その環境があってか、僕や姉には「あーだこーだ」言わずに、「自分の人生なんだから、自分の好きなようにしなさい。ただし、人様に迷惑のかかることだけはやめなさいね。何かあった時の責任は、最後まで自分がとるようにね。」といつも言われていました。
いつしかこの言葉が自分の中でのルールになり、「法律に違反したり人様に迷惑をかけなければ、自分のやりたいことを表現できるのが自分自身の人生だ!」と思うようになり、固定概念にとらわれずに生きるという、今の行き方に繋がったのかもしれません。
会社を経営するということは、自分自身で会社のルールを作り、営むという「自由」の代わりに、全ての「責任」は自分でとるという対価を支払っているんだと思います。
タイミングが良かったから
株式会社リラクのメイン事業はリラクゼーションスタジオの運営ですが、株式会社リラクに在籍していた当時は、このメイン事業の運営事業の責任者だったため、「独立したい!チャレンジしたい!」と言った自分自身の気持ちを内に閉じ込めていました。
ところが2015年7月に転機があり、店舗をメディア化し、収益性をさらに高める為のメディア事業部への配属が決まりました。
これを機に、内に閉じ込めていた気持ちが再び自分の中で顕在化し、「そろそろ独立したい。」という気持ちが強くなりました。
何事も「タイミング」が大事という言葉はよく聞きますが、まさにその「タイミング」であると、何か自分の中で前向きに「独立」という選択肢を捉えることができました。
自分が想う「誰かの役に立ちたい」を実現させてみたかったから。
3年B組金八先生の言葉の中で、好きな言葉があります。
「人という字は互いに支えあってヒトとなる」という言葉。
人はつながりあって生きており、寂しい人や普段人に見られている芸能人のような人は、人とのつながりを中々公にさらせない事情があるため、多くの方が動物を飼って、つながりを大切にしている姿があります。
人は支え合ってヒトになっていることを考えると、自分1人では人生歩むことができないし、そもそも僕自身が1人の人生であれば、間違いなく楽しくありません。
そう考えると、自然と人生を楽しく、そして幸せに歩む為には、「誰かの役に立つことを自分の喜びにすること」が一番の近道ではないかと思うんです。
サラリーマンの中でも「誰かの役に立つこと」はできるけど、自分で経営者としてより責任ある立場になった方が、より実現性が高いと思いました。
また、自分自身がぶれないように、創業時から「クレド」を作り、会社自身の行動軸におきました。
母親の生きた証を何かしら残したいと想ったから
「誰かの役に立ちたい」って頭の中を巡らせると、まず頭の中に出てくるのは、「亡きおかん」の姿。
「亡きおかん」は2011年3月20日に、闘病生活の末、この世をさりました。
2006年に乳がんがきっかけで末期がんになり、余命3年という中で、5年間がんばってくれました。
社名である株式会社エヌ・ケーパートナーズの「N」は、「亡きおかん」の典子(のりこ)の「N」。「K」は小林(こばやし)の「K」を入れて、「Noriko Kobayashi」を表現しました。また、会社の名刺の背景には、母親の故郷である鹿児島の象徴「桜島」を入れました。
会社が成長し、存続することで、大好きなおかんの新しい人生を描いていくことができるので、今後も軸をぶらさずに、日々コツコツと成長していきたいとおもいます。